本時のねらい:池袋自動車暴走事故で多数の死傷者が出た。事故の原因はアクセルとブレーキの踏む間違えであると予想される。しかし、加害者の老人は自分のせいだと認めず反省の態度が見られなかった。被害者家族は社会に事故のことや加害者の老人のことを広め、同情の声が寄せられた。次第に加害者とその家族への容赦ない批判が集まるようになった。加害者家族は自分の家族が犯してしまった罪の重さと社会からのバッシングに苦しんでいる。この事故に関して様々な報道がされるが一部、事実と違うところがあるが加害者家族は声を上げると批判されるため、無言を貫くしかない。(内容項目「公正・公平・社会正義」、「相互理解・寛容」)
主な活動 | 発問 | 児童・生徒の反応 | 素材 | コツ・アイデア | 追加資料 |
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導入 | 加害者の悪いところはどこか? |
・自分のせいだと認めないところ ・反省していないところ |
あくまで事故であり故意に起こしたことではない →自分が、自分の家族が加害者になる可能性がある | ||
展開 | 1.加害者家族はなぜ責められるのか? |
・高齢であったのに運転させていたこと ・罪を犯していないのだから責められるべきでない |
・「被害者家族は苦しんでいて加害者家族はのうのうと暮らしている」と批判されることがよくあるがそれは違うと思う。立場は違っても様々な苦しみがあることを忘れてはいけない | ||
2.事故に無関係な社会の人が、加害者とその家族を批判しても良いのか? | ・悪いことをしたのだから批判しても良い ・批判するのも擁護するのも言論の自由である ・その事故の事実しか知らないのに無責任に批判すべきでない |
・批判するもしないも個人の自由である ・批判して苦しむ人がいることを分かった上で批判するか尋ねる |
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3.被害者家族はなぜ社会にこの事故のことを訴えたのだろう | ・高齢ドライバーの危険性を伝えたい ・謝らない老人に怒っている ・事故のことを忘れてほしくない |
・被害者家族は加害者やその家族を必要以上にバッシングすることを望むだろうか?それよりもこのような事故がなくなるために私たちに出来ることを考えた方が悲しい事故を減らせるのではないか。 | |||
まとめ | 悪いことをした人やその家族を批判や中傷しても良いのか | ・批判と中傷は違う。批判や良いが中傷はいけない(これに対して、批判と中傷の線引きは受け取る方がどう感じるかだから自分では批判だと思っても中傷と捉えられるかもしれない) ・被害者の苦しみを考えれば、しょうがないのではないか。中傷されるようなことをした人が悪い ・相手の立場を考えた上で発言するべきだ ・相手が誰であっても直接関係のない人たちが批判や中傷をするのは間違いだと思う |
中傷や過度な批判から産まれる物は何もない。言論の自由を奪うことは良くないので言う言わないは個人の自由だが、言ったことにより傷つく人がいる。例え相手が悪いことをした人であっても、自分が傷つけることに変わりはない。傷つけ合っていては物事は改善していかないので、批判や中傷ではなく自分たちがするべきことは何かその場に応じて考えることが必要。 |
- ●評価の観点:
- 「公正・公平・社会正義」正義と公正さを重んじ、誰に対しても公正に接し、差別や偏見のない社会の実現について考えられているか。
「相互理解・寛容」自分の考えを相手に伝えると共に、それぞれの立場や個性を尊重し、相手の立場に立って理解しようとしているか。